一人の重みや、一人の有り難さ

グッド★スクランブル土曜日★イーブニング~!

国語の劣等生とかくて、場違いな奴ととく、その心は、どちらも、漢字(感じ)が読めませ~んッ!ナンチャッテ~!

只今午後9時、近所の公園で1時間プチマラソン中~!本日の●●●は、快晴ッ~!

いや~、今日は朝から、子供達と一緒に家の掃除を昼過ぎまでやっていた。

嫁さんがパートに出ている関係で、大掃除を年末までに向けて、分散してやっていく。

子供達も大きくなり、年末の大掃除という事も理解しているせいか、なかなか張り切ってやってくれ、思っていたよりも、はかどった。

こんな時、たとえ自分の子供であっても、一人の重みや、一人の有り難さを強く感じる。

2●年前のソーバー1年の時、日本のAAで初めて、何人かの仲間達と一緒にヤングミーティングを始めた。

まあ、最初の1、2年はなかなか仲間が集まらず、一人ミーティングになる事もたまにあった。

新しい仲間が来ても、なかなか継続して来てくれる事は、殆どなかった。

結局、広報的なメッセージ活動をするようになってから、少しずつ、一人、二人と仲間が定期的に足を運んでくれるようになった。

その時の、その一人、一人の有り難さは、今も忘れられない。。

何の根拠も、理屈もなく、ただ、ただ、大事にしていこうという気持ちが湧いて出てきた。


今日、子供達と一緒に掃除をしていて、想像以上に子供達のいろんなスキルが上がっている事に気が付かされ、

そのサプライズを嬉しく思った時、そんな過去の事を思い出した。

あるAAの経験を綴った書籍に、【与えることで得られるもの ~ この行為はまさに、何も求めずに与えられることである。

苦しんでいるその仲間が報酬を支払ってくれることなど期待しないし、ましてや好かれようとも思っていない。

だがその人は、与えるという聖なる逆説によって、自分自身が報いを受けていることに気付く。

その際、その苦しんでいる仲間が何かを受けたかどうかは問題ではない。

~ メッセージを運んだからといって、すべてが上手くいくとは限らないのだという事実を謙虚に受け入れられるようになったら、

自分の事を考えずに与えることの報いを手にすることができるようになった。】と、書いてあったが、

今、回復のプログラムを手渡していく用意がある事を前提にメッセージ活動をしていて、全てが全て上手くいくわけではない事を実感している。

相手に望まれて、いざビッグブックのやり方でステップを手渡し始めても、最後までいけなかった仲間も何人かいた。

残念ではあったが、続行不可能となるような要因が起こった場合は、その仲間がどうというより、神様がお与えになった縁だったのかなと解釈している。

勿論、その都度、ステップに立ち返り、誰かに相談するなりして、

少しでも、俺自身に何か問題があったとしたら、相手の仲間に謝罪し、解消してきた。

今思えば、そんな仲間達の問題うんぬん以前に、

その仲間達にステップを手渡すのは、俺ではなかったという事だったような気がする。


無条件で、他のステップをキチンと経験している仲間だとOKでも、俺では駄目だという事もあるのだ。。

あくまでも、ステップをキチンと経験し、毎日のステップを適材適所にやっているという事を前提にしての話だが、

その手渡して貰う仲間に対してのスキルの上下は一切なく、フィーリングや相性や神様の計画だけが左右していると理解している。


そして、俺がスポンサーを降りなければ、その仲間が駄目になってしまうと感じて、それが本当に神様の意志だったとしたら、

逃げずに実行し、後にきっと、その仲間に回復成長進化のきっかけが与えられると信じている。感謝だ!

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