グッド★寒いぜサタディ★イーブニング〜!銭湯に行った子供とかけて、嘘をついている人の目ととく、その心は、泳いでいる〜!
只今午後8時半、近所の公園で、1時間プチマラソン中〜!本日の●●●は、快晴ッ〜!
いや〜、今日は、午前中、所属教会の掃除へ行ってきた。
今の季節、掃除のメインは、教会の敷地内や、教会前の道路の落ち葉をほうきではく事で、何人かの信者さん達と手分けしてやった。
毎週、トレンディードラマの収録をしているとは、とても思えない位の静寂さの中で、いい黙想ができた。
平日、AAの事や仕事などで、忙しくしていて、いくら日々のステップをビッグブックに書いてある通りにやっていても、こんな空間に自分の身を置くと、凄く落ち着いたりなんかする。
こんな事も、俺にとっては必要な事なんだろうと、神様の意図や霊感を強く感じる。
こんな陽のあたらない、自己顕示のかけらもないような道具に徹する機会は、
俺のようなタイプの人間には必要なんだろうと、神様の愛に育てられている事、マジに有り難い。
誰も見ていないところで、永久に人の目にとまらず、決して人から評価を受けない事で、
助けになっていく事が、最も大切な事、ステップの実践と相通じるものがあると思う。
何故なら、神様というのは、人の目の届かないところしか見ていないからだ。
今の俺には、それが何よりも確かな事として、ハッキリとわかる。
あるAAの経験を綴った書籍に、【・・・・・たった二つの罪しかない。まず一つは、他の人間の成長を妨げる罪であり、そして二つ目は、自分自身の成長を妨げる罪である。
〜幸せというものは、とてもわかりにくいものである。
他の人の幸せの為に祈っているようでいて、実は自分のもくろみが隠されていたということが、いったい何度あったろう。
また自分の幸せを求めるあまり、気付いてみたら他の人や自分自身の成長の道をふさぐ大きな障害となっていた事も度々である。
謙遜と受容の中から成長を求める事は、別に取り立てて良い事でも、健康的でも、重大でもないように思える。
しかし振り返ってみれば、苦しみや苦悩や敗北の全てが、このプログラムによる成長の中では、心の落ち着きを得る肥やしになっている事がわかる。】と、書いてあったが、
綺麗に始まって綺麗でまとめる事や、最悪で始まって最悪でまとめる事が、普通の事ではないのだ。
最悪で始まっても綺麗にまとまったり、綺麗で始まっても最悪でまとまったりする事も、当たり前に起こりうるのが人生なんだと思う。
いつのソーバーであっても、自分が本当に辛い時、何故そこから解放されるように自分の理解する神様に祈るのだろうか。。?
それは、困った時の神頼みで、AAの方法から外れているのではないか?
だが、答えはハッキリと、ビッグブックに書いてある。
そんな一つ、一つの、ステップの順番と実践に伴った祈りを理解して、やり続けていけば、
小さな祈りに対する捧げ方も変わり、神様の望む、確かなものになっていくような気がする。感謝だ!



