究極の見分ける賢さ~甘やかす事と愛とは違うのだ~

 


グッド★ラフ&シリアス日曜日★アフタヌ~ンッ!

今朝は教会のミサに突入し、聖歌を熱唱して、スッキリしたぜェ~!

そこで一発、爆笑★ステップサマーホリディ、食らってチョンマゲ~!


かき氷とかけて、友情ととく、

その心は、溶けたら(解けたら)困りまッす~!ナンチャッテ~!


かき氷食いてェェェェェ~!

只今午後2時半、近所の遊歩道にて、1時間プチマラソン中~!

本日の●●●は、スーパーチョベリグ起死快晴ッ~!

いや~、今朝は、子供達と教会のミサに行ってきた。

俺の4連休中、今日だけ嫁さんは仕事になっている。

教会の帰り、子供達のリクエストに応えて、

1時間半、カラオケボックスで、歌い捲りの大暴れしてきたぜ!

夏になると、職場のある●●●でも、

自宅のある●●●でも、セミの鳴き声がこだましている。


今年は何故か、セミの鳴き声が、例年よりも、よく聞こえるような気がする。

セミが例年よりも増えたのか、それとも、俺が変えられたのか、定かではない。

ただ、セミの鳴き声が、単にうるさいだけの、

聞きたくないみたいな奇音としか思えなかった頃は、

セミがうるさく鳴いていても、

その鳴き声は耳に聞こえても、聞こえておらず、

心に届いていなかったように思う。


こんな事というのは、耳だけに限らず、

口で話していても話せていないとか、

目に見えていても見えていないとか、

心臓は動いて生きていても死んでいるというような感じで、

あらゆる現実に当てはめる事ができる。


あるAAの経験を綴った書籍に、【何の説明もせずに私は彼らを遠ざけていた。

自分が与えた傷の現実と向き合った時、

ステップ8は新しい意味を持った。

もう気づまりは消え、すがすがしい気分が生まれた。】

&【私たちが他の人を「傷つけた」という時、

それはどういう意味なのかを自分に問いかけてみるとよいだろう。】と、書いてあった。

2度目の1年の大掃除を、

ビッグブックのやり方によるステップ経験豊富なアメリカ人の仲間と一緒にやった。


その仲間には、ステップ1から12まで、事細かなところまで手渡して貰い、

特に6-7ステップを連動する形で、直接的埋め合わせプラス、

生きた間接的埋め合わせのやり方を重点的に教えて貰った。


思いやりのなさで、人を傷付けたのなら、

その本人に直接謝罪し、謝っただけで終わりにせず、

その本人だけに限らず、

他の人達も、同じ事で、二度と傷付けないように、

ある行動を仲間の提案を通してやるようになった。


そのある行動とは、

野外に出た時、常に困っている人がいないかに気をかけながら、

歩くという事だった。


最初は意識しながらでないと出来なかったが、

段々、習慣になってきて、困っている人達が見えるようになり、

自分が生きて、他を生かせる範囲で、適材適所の助けになれるようになった。


当の手助けとは、

どんな状況にあっても、

相手に合わせた神様の視野に立ち、

神様の采配に動く事だと思う。


甘い言葉をかけてあげなくちゃならない時は、甘い言葉をかけてあげ、

甘い言葉をかけてはいけない時は、絶対に甘い言葉をかけない事、

どちらも神様の愛であり、本当の助けだと強く感じる。


この究極の見分ける賢さこそ、

ステップ1~11を経た霊的目覚めによって

与えられるものだと強く感じる。

甘やかす事と愛とは違うのだ!感謝だ!

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